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~若手による干潟の発掘と交流~
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冬から春にかけては、大潮の干潮は夜から早朝にかけてがよく引く。
そのため、干潟の近くに車で行き、夜のうちから車で泊まることが多い。

昨晩も23時にハチの干潟の横に車を付けて車泊し、
早朝3時に起きて調査を開始。

満月で、月明かりが干潟を照らし出してとても美しい。
寒さが身にしみるが、シンと静まり返った干潟もいい。
沖の方へ歩いて行くと、とてもよく引いていることがわかった。

今日の潮位はマイナス16センチ。
海がわれたかのように、沖まで歩いていくことができた。
一日のうちにも潮の満ち干や、季節による生き物の変化、
汽水域から始まる底質環境や塩分濃度の変化など。
干潟は多くの変化に富み、さまざまな生き物をはぐくんでいる。

そんな干潟に魅了されてしまった。


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ハチの干潟へ流れる賀茂川の最河口に、皆実橋という橋がある。
木の丸太の上にコンクリートを流し込んだもので、珍しい橋である。
夏になると、ハチの干潟から涼しい風が吹き抜け、橋の上は涼みに来る人で華やぐ。
また、春先には投網をする人たちが並ぶ。とてものどかな風景だ。

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かつてはほとんどの川の橋が木でできていた。
しかし、鉄鋼やコンクリートに取って代わり、そのような面影もなくなってしまっている。
そんな面影を残す皆実橋も老朽化に伴い、架け替え工事が行われる。

鉄鋼の橋にするそうだ。手つかずの自然が残るハチの干潟が望める皆実橋。
せめてその皆実橋は、これまで通り木の丸太で掛け替えてほしい。かつての古き良き文化としてではなく、干潟とともに今に残るものであってほしい。悔いが残らないように、管轄する市の担当部長に要望を伝えた。設計は変えることができないが、手すりなどは配慮すると言ってくれた。変わりゆく流れの中で、地元に住まないものができる精一杯のことだった。

木の橋の対応年数は20年と短い。しかし、鉄鋼の橋の対応年数を聞くと25年だそうだ。それほど変わらない。私たちの世代は、木の橋すらめったと見ることができない。地元の人へもこの木の橋について、意見を投げかけた。しかし、「木の橋だったんか」と逆に問われた。地元の良いところを見つけて、ささやかながらよいものを残していかないといけないと思う。木の橋を良きものとして感じるのは僕くらいかもしれない。

しかし、愛着をもって毎日のように通っている、何気ない風景にも目を配ってほしい。それに、手つかずのハチの干潟に一番近い橋だからこそ、残しているんだという意気込みを感じたかった。小さな木の皆実橋とはこの春でお別れである。25年以内には、もうひとつ大きな橋がつくそうだ。

ハチの干潟の魅力のひとつ・アマモ場
かつては干潟がたくさんあり、各地でアマモが茂っていたそうだ。

アマモの役割は計り知れない。
1・小さな生き物の隠れ家になったり、産卵の場になり、海のゆりかごになっている。
2・光合成をして大量の酸素を供給している。3・地下茎を張ることで、土砂の移動を防ぐ。
4・流れ藻になり、魚たちの隠れ家になる。
5・海岸に漂着したアマモは海岸生物の餌になる。などなどキリがない。

そんなさまざまな役割を果たしているアマモは、埋め立てや海砂採取などによって減少の一途をたどっている。20ヘクタールほどのハチの干潟には潮間帯から沖にかけて30ヘクタールほどの広大なアマモ場が残されている。
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まとまったアマモ場は、生物の生産力も高く、砂の流動も少なく干潟も安定する。アマモ場はとても大切だ。そんなハチの干潟のアマモ場の上に「藻場造成」という計画が持ち上がった。(上の写真の位置)中身は、ヘドロの投棄であった。アマモ場が失われることと、干潟がダメになってしまうことへの危機感から、ハチの干潟調査隊を立ち上げて、計画を取りやめてもらった。今でもアマモ場の大切さを知ってもらう観察会を行っている。
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押し網という漁法は、アマモ場がたくさんあったことはいたるところで行われていた。それがいつの頃からか失われてしまっていた。その漁法を、地元の人に聞き取り、復活させた。押し網をするとアマモ場ではたくさんの生き物を捕まえることができる。タツノオトシゴ・ヨウジウオ・メバル・カサゴ・ハオコゼ・エビ・カニ・タコとても楽しい。

一か所でも多く、今あるどんなに小さなアマモ場をも残していくことが、私たちにできる最大の「自然保護」ではないだろうか。
ハチの干潟の干満の様子。

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1日2回干潟が現れる。写真は大潮の時のもので、小潮だとハチ岩まで潮が引かない。
真中にある岩がハチ岩で、高さがおよそ4メートルほどある。
瀬戸内海での干満の差は3メートルから4メートルで、大潮の満潮時でも
ハチ岩の頭は水没することなく出ている。

ちなみにハチの干潟の名前の由来をよく聞かれるので、
調べた限りをお知らせします。

そもそも干潟上に印象的なハチ岩があることから通称ハチの干潟と呼ぶようになっており、
そのハチ岩の名前の由来を知らなくてはならない。
昭和初期のころの海域地図を見るとハチ岩は「八千岩」漢字の8000になっていた。
岩が8000もあったのかと思うかもしれないがそうではなさそうだ。

それよりも古い江戸時代の資料を読み下してみると、「波知岩」波を知る岩となっている。
もしかしたら、ハチ岩にどれくらい潮が来ているか見ることによって、
今どれくらい潮が引いているのか見ていたのかもしれない。

それがいつの頃からか、海域地図にカタカナでハチ岩と記されるように。
不思議だ。
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